中村 哲さんの歩みから

中村哲さんを偲ぶつどい

昨年12月、アフガニスタン東部において銃撃による無念の死を遂げた中村哲さんを偲んで、ささやかな集会が開かれました。8月5日、久宝寺のまちなみセンターにて。

コロナ感染拡大の影響で大勢が集まることはできませんでしたが、スライドによる中村哲さんの活動紹介と八尾でペシャワール会を支えてきた松井千代美さんのお話は、とても心に残るものでした。

 

 「中村哲先生との出会いと歩み」を話された 松井千代美さん

偉業を知る

中村さんは35年にわたり現地の人の立場に立ち、現地の人といっしょに汗を流しました。初めは医師としてパキスタンのペシャワールでハンセン病患者の診療を始めましたが、その後、井戸をほり用水路を建設し、大干ばつで砂漠化した村に緑の農地と生活を取り戻しました。心のよりどころであるモスクや学校も建てました。

「飢えや渇きは薬では治せない、百の診療所より一本の用水路を」と独学で土木を学び自ら設計図を描いたといいます。本当に素晴らしい人です。中村さんに共感した多くの支援者がペシャワール会に集まったのも納得できます。

私が中村哲さんを知ったのは、教員時代、大阪府教職員組合の講演会でお話を聞いた時でした。15年以上も前だったので、細かい内容までは覚えていませんでしたが、松井さんたちの活動を通して、中村哲さんの偉業がよみがえってきました。

なかでも印象に残っているのは、自衛隊の海外派遣が議論されていた衆議院テロ防止特別委員会に参考人として呼ばれた中村さんが、「自衛隊派遣が取りざたされているようですが、当地の事情を考えると有害無益です」と断言したこと。「復興は軍事ではなく、農業から」との言葉も胸に響きます。

主催者に感謝

アフガ二スタンの住民に寄り添い、真の国際貢献、平和とは何かを教えてくれた中村さんの生き方にあらためて感動しました。温かい語りのなかに、中村哲さんへの尊敬の念と信頼と哀悼を交えた松井さんのお話を通して、中村さんをより身近に感じたひとときでした。松井さんと、この時期に大変なご苦労をしながら開催してくださった主催者のみなさんに感謝します。

現地の皆さんと写真におさまる中村さん(写真中央、スライドより)

中村哲さん、星になる

6月に「中村哲」という小惑星が誕生しました。札幌市のアマチュア天文家が1996年に発見した小惑星に、そう命名したそうです。中村哲さん、大きな星になって、安らかにお眠りください。