西原町・益城町・熊本市 2016年7月21日~22日
■熊本学園大学に「障がい者・高齢者」避難所設置
ヒューマンネットワーク熊本(NPO法人自立生活センター)でへルパー派遣を行っている「ケアサポートぴあ」のスタッフから震災当時の聞き取りをしました。本震が襲った16日未明、人工呼吸器をつけた利用者の家に泊まり込みのケアに入っていて、何とか九死に一生を得たとのことです。しかし、直後から利用者の安否確認と救出活動に奔走します。まずは、近くの学校・福祉事務などに避難を誘導したものの、長期的な生活はむずかしい。バリアフリーのトイレがあり、倒壊の恐れが少なくスペースが確保できる大きな建物はないか・・・真っ先に頭に浮かんだのが熊本学園大学。人のつながりを生かして了解を得ますが、とりあえず安全な場所を確保したものの、一般の避難者も増えるなかで、スペースは狭くトイレにも移動できない状況でした。そこで、社会福祉学部の東教授の計らいで、障がい者や介助が必要な高齢者などに大ホールを使わせてもらうことになったのです。
最初とりくむべきは、40人規模の介助体制をつくること。大学講師の協力を得ながら、ヒューマンネットワーク熊本のヘルパースタッフと学園大学の学生ボランティアを配置し、障がい者も高齢者も格差のない介護体制を組もうとしました。しかし実際にはヘルパー全員が被災者であり無理には招集できない、また在宅で暮らす利用者へのヘルパー派遣は継続しなければならないなか、初めのころは、とりあえず動けるヘルパーが不眠不休で介助にあたったそうです。
もう限界に達していた頃、全国の自立生活センターから介助者の人的支援がありました。日ごろから重度障がい者の支援にあたっているスタッフなので、文字通りの即戦力になりました。避難所の介助を担ってもらうことで、地元スタッフは帰宅支援にとりかかります。「最も重要なのは、住み慣れた家で慣れたヘルパーの介助を受けての生活に戻すこと。それが障がい者の自立生活にとって復興の第一歩だ」と考えていたからです。
支援者と障がい者のがんばりで、8日目の24日には、ほとんどの方が自宅または避難所に変わる場所に移ることができたそうです。
■避難所のあり方を問う
この大学は「指定避難所」ではありません。高齢者、障がい者の受け入れ先となる「福祉避難所」の指定も受けていません。大学側の判断で「自主避難所」として「福祉避難所的に」運営された先進的な場所です。福祉教育に力を入れる大学なので、簡易トイレや毛布、血圧計といった機材などを備えていたこと、学生が積極的にボランティア活動に参加したこと、教授や講師のつながりで専門性の高いスタッフを派遣できたこと、医師や看護師でもある教授・スタッフが医療チームを結成し避難者を見守ったこと、それらが大きな成果につながりました。「人がいて、モノがあり、技術があった」と関係者はふりかえります。
現地では、本来の「福祉避難所」があまり機能しなかったと聞きました。その原因は、役割や場所について周知されていなかったこと、激震で施設自体が壊れ使用できなかったこと、人の対応ができなかったことをあげておられました。
現在は、八尾市の防災計画においても同様ですが、福祉避難所はあくまで二次避難所であり、災害時、障がい者はまず一次避難所である地域の避難所に避難することになっています。しかし、災害が起こるたびに指摘されるのは、「障がい者が過ごしにくい」指定避難所の実態。福祉避難所のあり方を見直すべきではないでしょうか?また、障がい者も真っ先に逃げ込むことになっているのが指定避難所であるならば、その中に「福祉避難室」をつくるべきだという考え方もあります。今回の大学の対応を振り返り、その必要性を強く感じています。